2009年12月21日

あたりまえに奇跡的な今  S

前野健太さんのライブ、盛況のうち、無事に終了しました。
前野さん、ご来場いただきましたみなさま、ありがとうございました。
また、ちょっとしたトラブルにも臨機応変に対応いただいた、主催の「夏のあくび」のおふたりにも感謝です。

家でCDを聞くのと読書っていうのは反復できるという点で、似ていて、最近はそればっかりなのだけど、やっぱり生で演奏を聴くのは特別な時間で、もう、この時間は二度とかえってこないんだなあ。「あたりまえに奇跡的な今」だなあ、とひしひしとおもった。

ちょうちょぼっこに来てくださった、約30名の人と「熱海」や、はじめて聴く京都タワーのうたを一緒に歌う。たのしい。
前野さんが「だれかの」を歌いはじめたとき、いささか感慨深くなる。
カウンターの中から、30人のお客さんの後頭部を眺めつつ、この知らないひとたちの「毎日」に思いを馳せる。たまたま同じ時間を過ごしている、知らないひとたちの「いとなみ」を考える。きっと、2時間後には顔も忘れてしまうだろうひとたちの「毎日の重さ」をこの曲を聴いている間だけでも考えみようとおもう。
いろいろな、いろいろの、積み重なりが見えた、気がした。きっと気のせい。

好きな「3月のブルース」「青い部屋」も聞けて嬉しい限り。
けど、リクエストで「100年後」と言えなかった小心者の自分をなぐりたい。「さみしいだけ」も聞きたかった。。ああいう場で曲をリクエストしようとすると失語症か!というくらい声がでません。

どんな日も、どんな時間も1回きりで、2度かえってこないのは頭では分かってるけど、そういうことを忘れがちな毎日の繰り返しなわけで、だから、「あたまりまえに奇跡的な今」を実感できた時間は、やっぱり素敵でした。センチメンタルにもなる。

今日と地続きでつながっている明日。
また会社に行くのか、と思うと憂鬱で仕方がないのだけど、「生きていかなきゃね。」
「あるのは毎日のつづきだね」

けど、朝起きるの、ほんといやだ。寒いし!
「きみと布団でただねむりたい」っていうのがほんとのところ。







posted by chochobocko at 00:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月06日

ピンクのおうち a(fukushima)

ワタリウム美術館で行われている「ルイス・バラガン邸をたずねる」を見に行く。

中学2年か3年の頃、仲の良かった同級生が
バラガンの写真集を借りていて、見せてくれたのが出会いだった。
ピンクの壁、スカッとした青い空。かっこいいとか、すごいとかそんなことより
建築、建築家というものを意識して見てもいなかった頃だったので、とっても新鮮だった。

それからことあるごとに、バラガンの名前をみたり、
その作品を写真で見たりしていたけれど
突っ込んで彼のことをおっかけることはなかった。

今回、ワタリウム美術館での展示は彼のことを知る
いい機会だなと思って足を運んだ。

建築だけをながめるのとは異なり、
自身の手がけた家(家具などもデザインしたという)を体験すると
どんなことを意識して家を作っていたのかとか想像できておもしろい。
同じくメキシコ生まれの画家チューチョ・レイエスの作品が素敵だった。
バラガンの作品にはなくてはならない存在だったという彼の描いた作品は
鴨居羊子の作品をもっとポップにしたような華やかでユーモアのあるものだった。

作家でも画家でも建築家でもその人の交友関係や暮し方を知るのは新しい関心につながると思う。

posted by chochobocko at 21:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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