2010年02月13日

ラウンダバウト a(fukushima)

渡辺ペコの作品はどれも好きなのだけれど、特に『ラウンダバウト』は絶品だと思う。主人公のマコトが漫画家に恋しちゃってお小遣いはたいてサプリメント送ったり、ちょっと難しい女の子同士の関係について考えてみたり、ぜんぜん大きな事件が起きない淡々とした日常を描かれているのに後にひくものばかり。そして、読むたびにいつも思い出すのは、かつて近代ナリコさんがちょうちょぼっこで『本箱』を作った際に寄せてくださった文章である。

現役の少女はあらためて「少女」というものについて考えることなどしません。「少女」や「少女性」について考えはじめた時点で、少女が少女でなくなる    『インテリア・オブ・ミー』近代ナリコ(パルコ出版)

物語を追うことによって、きっと「もと少女」はあたまの片隅に「少女」というそのぼんやりした像を再構築して考えているのかもしれない。それは、過ぎ去った日々がなつかしいものとして感じることとはまた少し違うようにも感じる。おそらく、「もと少女」たちがもつ「少女」的な思いや考えやらがその作品に宿っているのではないだろうか。ラウンダバウト‐いくつもの道路が行き交う円形交差点。というてタイトルもなるほど。





posted by chochobocko at 22:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月12日

京都にいっしょにかえってしまいたかった S

昨日は「吉田省念と三日月スープ」のライブでした。
祝日の午後はあいにくの雨でしたが、たくさんの方に来ていただきました。ありがとうございました。

詳細なライブレポート(演奏いただいた曲などなど)は来ていただいた方がちゃんと書いていらっしゃいますねー。おお!そちらをご覧下さいませ。

「黄色い風船」「メロディ」「北から南」など好きな曲も聞け、うれしかった。横でごーださんがへにょへにょ踊ったり、エアーピアノで参加するもんだから、愉快さがアップした。「春の事」を聞いて、ふしぎに懐かしい気持ちになったり、「妖怪にご用心」のカバーのとき、偶然にも中山千夏の本が本棚から発見されたり、「小さな恋のものがたり」、これはチッチとサリーとは全然関係なくて、というコメントに笑ったり、今、思いだして、ひとりきりの部屋でちょっと踊りだしてしまうくらい楽しかったのです。ただし、その図を俯瞰したら怖いので、踊らないですが。
ファンファンちゃんがたんじょうび、が近いということで、鳥かごキッチンさんに作ってもらったチョコレートケーキをさしあげました。関係ない、と言われた『小さな恋のものがたり』を偶然にもちょうちょぼっこで売っていたので、それも。偶然がへんな形で重なりあう日でした。

夏のあくびの鈴木さんはあいかわらず、こまやかに動かれ、盛り上げておられました。

ライブ後、吉田省念さん、植田良太さんと夏のあくびの方々とその関係者の方々、cafe de pocheの琴子さんらと食事へ。
なんやら楽しいひとときです。植田さんとちょうちょぼっこ3人は同級生でした。省念さんがわたしたちを見て「親戚みたい」とおっしゃったのを、今、思いだして、ふきだしそうに。
初対面の方だと、わりと緊張するんですが、植田さん、省念さんにたいしては緊張しかったなあ。親戚とまでは言わないですが、遠縁かな、と思うくらい。

植田さんと省念さんとちょうちょの3人でマーサへ。マーサではザッハトルテのライブがあったので。
植田さん大きなウッドベースを器用にタクシーに乗せて、降りる時には、タクシーの運転手に「ありがとー」と言っていたのは印象的。
ごはん食べたお店でも「マスター、八重歯がすてきですね」などと名言を。

マーサでお茶をして、けれど、京都へ帰る時間に。終電を逃しそうに、ぎりぎり。
タクシーに乗る植田さん、省念さん、ウエッコさんを見送る。なんか、これで会えなくなる気がして、いささか悲しい気持ちになって、手を振った。
わたしも京都に帰りたい、と思ったけど、いやいや、わたしら大阪で、明日も仕事じゃない、と、そそくさとそれぞれ家路についた。






posted by chochobocko at 22:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月07日

第1回 水の都の古本展

仲良くさせていただいているモズブックスさんが参加される「第1回 水の都の古本展」が3月に大阪市中央公会堂で開催されるそうです。
中央公会堂が古本市の会場になるなんて、ちょっと想像してなかったですね〜。楽しみ。
詳細は以下です。(モズブックスさんのブログより引用)
http://blog.mozubooks.com/?eid=442886


第1回 水の都の古本展
nakanoshima.jpg

○日時:平成22年3月8日(月)〜11日(木) 午前10時〜午後8時
     (※初日8日は午後1時から・最終日11日は午後5時まで)

○場所:大阪市中央公会堂 地下一階・展示室

○主催:大阪古書研究会

○後援:大阪市・大阪府

○参加店:キトラ文庫・厚生書店・古書象々・書砦梁山泊・書肆銀鈴舎・杉本梁江堂・モズブックス

○目録:出品目録抄を兼ねたパンフレットを作成。御得意様へ発送させていただくとともに、大阪市立東洋陶磁美術館や大阪府立中之島図書館など周辺施設にも設置させていただく予定です(2月中旬〜)。

 
 

※※※
先の見えない不況の中、モノが売れないのは、決して古書業界も例外ではありません。多くの古書店が時流に乗り遅れないよう、さまざまな工夫を凝らし、前を向いて生き残りを模索しています。しかし、それでも聞こえてくるのは実店舗の閉店や、売上の減少など、業界にとって厳しい話題の多いのが現実です。こうした逆風下においては、古書店は本当に扱いたいモノを扱えないというジレンマに立たされ、切歯扼腕、ともすればストレスを感じる場面すら出てきています。
今回、ご案内する「第1回 水の都の古本展」は、そんな閉塞感を打ち破るべく、大阪古書研究会所属の会員書店7店が新たに立ち上げた古書展示即売会です。30代〜40代前半の若手古書店主が中心となって企画いたしました。重要文化財にも指定されている大阪市中央公会堂という重みのある場所で、店主たちが本当に扱いたいモノを厳選して出品する展示即売会にしたいと思っております。
この試みが成功するのか、失敗するのか、蓋を開けてみるまで分かりません。しかし、状況に抗い、状況を打開しようと試みる若手古書店主たちの心意気にご賛同いただき、期間中、中之島一丁目の地、大阪市中央公会堂へお越しいただけましたら、私どもにとって望外の幸せであります。
現在、お客様のご期待にお応えできるように、さらには中央公会堂にふさわしい商品を集めるべく、参加各店とも蒐書に勤しんでおります。上記趣旨をご理解いただき、「第1回 水の都の古本展」にご支援、ご来場賜りますことを、何卒よろしくお願い申し上げます。
※※※
posted by chochobocko at 22:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月06日

京都は雪でした。 S

2/11(祝)に鳥かごビルヂング2階にオープンする「鳥かごキッチン』の試食会に行ってきました。どれもこれも美味しくって、オープンが待ち遠しいです。
おなじく11日にちょうちょぼっこでは吉田省念と三日月スープのライブがあって、そこで、「鳥かごキッチン」特製のやさいのパウンドケーキを販売予定です。楽しみです。


その後、京都へ。
京都はびっくりするくらい寒くて、雪が降っていました。


行きの京阪電車のなかで、iphoneをいじっていたら、「18の夏」が大音量で再生され、車内にひびきわたって、焦りました。幸い、「ヌイてた〜」の前でストップできました。
急いで、ガケ書房へ。
前野健太さんの投げ銭ライブ。京都で「鴨川」が聞けて嬉しい。
ガケ書房店内の雰囲気と前野さんのライブはとてもマッチしていて、おまけに窓から、白く降る雪が見えて、すごくいいライブでした。満足。
ガケ書房で、『高田渡と父・豊の「生活の柄』を購入。会計時に店長の山下さんより「NHK知る楽、やってますねえ〜」と言われ、第1回の放送がすでに過ぎたことを知り、ショック。けど、「再放送ありますよ」の一言に救われる。再放送は10日!

ガケ書房店内で、見たことあるなあ、と思っていた青年に声をかけられる。ちょうちょぼっこに何度か来てくれたことがあって、しかも、昨年、海文堂で開催された高橋輝次さんと季村敏夫さん、「街の草」さんのトークイベントでとなりに座っていたという。わたしの既視感は間違ってなかった。青年は既に善行堂でsumus13号を購入していた。このように本が好きなひとはたくさんいるのだなあと。「にのにのいち、今年はやらないのですか?」と聞かれる。本が好きなひとはこのイベントをけっこう楽しみにしているみたいだ。

善行堂へ。
雪、激しく降る。山本さんがsumus13号を嬉しそうに見せてくれる。青色の表紙がかわいい。コンパクトなサイズもよい。
ぱらぱらとめくって、年末、忙しいからという理由でアンケートを答えなかったことを悔いる。2009年のわたし、のばか。
山本さんとたのしくお喋りなど。しかし、山本さんの奥さまがとても美しい人で驚いた。
な、なんでなの?と素直に疑問。岩阪恵子の『台所の詩人たち』を購入。これ、欲しいとおもっていた。

大阪へ。
ちょうちょぼっこに自転車をとりにいって、ごうださんと心斎橋のアバニコでご飯。

長い一日。
とりかご1.jpg とりかご2.jpg とりかご4.jpg
鳥かごキッチンのおいしそうな料理。



京都.jpg
京都は雪が降っていました。




zenko.jpg
『sumus13」をうれしそうに持つ山本さん。何度撮影してもブレた。

posted by chochobocko at 23:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月03日

百の哀しみをっきちり百伝えた。 S

瀬沼孝彰という詩人がいて、わたしはこの詩人のことを『死んでなお生きる詩人』で知って、『凍えた耳』という詩集を1冊だけもっている。

『凍えた耳』に「カチューシャ」と題された、すこし長い詩があって、ごーださんに「読んでみなよ」とすすめようと思うのだけど、いつもわすれる。

病棟の廊下には排泄物と病にひたされた人の甘酸っぱい匂いが漂っていた。

「カチューシャ」はこんな一文からはじまる。
瀬沼孝彰は老人専門病院で働いていた。「社会にかろうじてつかまって生きる人々の本質的な不安を、瀬沼はここで、自らのものとして抱かねばならなかった。」と『死んでなお生きる詩人』には書いてある。

ごーださんは老人関係、福祉関係の仕事を続けており、今やっている仕事について話してくれる。「たいへんなのー」と、あの、いつものすっとんきょーな調子で話すのだけど、内容は、もう、ほんとうに救いようのないものばかり。
目をそらして、見えないふりをして、自分の暮しとは関係ないところに、ふたをしめて閉まっておきたいような、そんなものばかり。

「瀬沼は歩けなくなった人や、痴呆症で意識のバランスを失った人を抱き上げて風呂に入れた。すると彼らは皆、しみじみとした安堵の表情にかえっていった。『生きていた長い歳月の奥で降り積もったたくさんのものを洗い流してるのかもしれない」と書いて、瀬沼がひたすら愛した人々は、だがおはようのかわりに、さよならと言わねばならぬほど次から次へと死んでいった。」(「死んでなお生きる詩人』より)

そして「カチューシャ」の一部。

アグネスの顔は美しかった
この仕事をするようになってから、何人もの老人たちの死顔
を見てきた。彼等の顔からは末期の苦悶が不思議に消え失せ
安らかな表情にかえっている人が多かった。それは死という
眠りが人々にもたらす、いたわりかもしれなかった。

ごーださんは年末、退院したら行くところがないおじいさんが住むアパートをずっと探していて、けれど、どこも貸してくれなくて、あとすこしで退院だけど、どうしようと、そんな仕事をしていた。
「それでどうなったん。あのおじいさん」と尋ねて、「亡くなった」というごーださんが答えたのを聞いて、「よかったのかもね」と不謹慎ながらおもった。

「死」が「いたわり」だなんて、ほんとうはそんな風に思ってはいけないと、遠く離れたところにいるわたしは、いくらでも思える。

「一つの哀しみや喜びを、千、万に見せるのが詩人なのだろう。だが、瀬沼はその生きざまのような、とつとつとしたけっしてうまいとは言えない字で、百の哀しみをきっちり百伝えた。安いところで手を打てなかったから、思わせぶりな孤独など書けなかった。」(「死んでなお生きる詩人』より)

『凍えた耳』を読んで、ごーださんも、老人たちとのこと、をちゃんと書けばよいのにと、おもう。

それぞれの病気や家族関係など
ちょっとずつ似通っている特徴がリミックスされて
近頃、夢に見知らぬおばあさんがでてくる。
いったいどなたなんでしょう。

これは、ミクシーに書いていたごーださんの日記。勝手に引用。特徴がミックスじゃなくて、なんでリミックスやねん、とつっこみつつ、おもしろいよなあ、と。
posted by chochobocko at 22:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月01日

またあえたよ a(fukushima)

 吉祥寺にちょうど生まれ年が一緒の紅茶屋さんがあった。そこは、ビルの地下で薄暗いいわゆる「隠れ家」と言いたくなるような穴蔵で高校生の頃から通っていたすてきな喫茶店だった。カウンターにはアツアツのポットが湯気を吹きだし、大きなテーブルには旬の花が活けられていて渋いのだけれどひとりで落ちつけるお店だった。ムジカで修業をしたというひげのマスターが入れてくれる紅茶はミルクをたっぷりいれて飲むのにおいしく、バイトのちょっと女性らしい仕草のお兄さんが印象的だった。

 2002年に閉じてしまってからも残念で、そのお店のことが書かれた本を偶然古本屋さんなどで見つけては、なつかしくうれしくなったもの。矢川澄子の追悼特集の『ユリイカ』で東京女子大学に行った帰り道に彼女も足を運んだことがあったのを知り、ちっぽけなつながりだけれどドキドキした。少し前に『世界のお茶、ふだんのお茶』晶文社を古本屋さんで見つけた。そのお店をはじめたオーナーさん(吉祥寺の洋服屋さん、タイガーママのオーナー)へのインタビューが掲載されていた。お店を始めた経緯、お店の写真、もう空間をたのしむことができないのからこそ、残された紙面をなぞってたのしむしかなかった。

 なのに、たまたま吉祥寺駅北口を出て顔をあげたらその店の名前が眼に飛び込んできた。心臓がバクバクして、急いで道路を横切った。深呼吸してお店の扉を開け、2階にあがると以前とは違うのだけれど、なつかしい。かつてと同じムジカのティーポット、ガラス瓶に入ったお茶の葉。こんどは陽が差し込むようになった店内でやはり手作りのパウンドケーキとキーマンをゆっくり、かつてのお店をなつかしみながらくつろいだ。

 僕の店も、できたら地下から表に出て、陽の光が燦々とふりそそぐ、風が吹き抜けて樹や花が見えるようなさわやかな場所でやりたいですね。-『世界のお茶、ふだんのお茶』ティータイム・ブックス編集部編(晶文社)

駅前なので木々には囲まれていないけれど、ハモニカ横町をながめながら陽の光を感じるそのお店にまた通いたい。地元を感じることができるお店に再び出会えたことがとってもうれしい。

ティークリッパー
180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-1-2
昼から夕方。月休み。


posted by chochobocko at 23:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月30日

twitter はじめました。

今さらながら、ちょうちょぼっこもtwitter はじめました。
https://twitter.com/chochobocko

ちょぼメンバーもそれぞれやっています。

杏さん: 仕事でも使っているらしく難しいことつぶやいています。
https://twitter.com/apricot_f

ごーださん:たまごかけごはん食べてるとか、しかつぶやいていません。きのうからはじめたばかり。
https://twitter.com/tg0421

しんじ:ごーださんと同様、きのうからはじめたばかり。
https://twitter.com/aya_0626

ツギータ:まだだっけ?

●ちょうぼメンバーのリスト
https://twitter.com/chochobocko/chochobocko

ブログ更新が滞り、短いのならできるかなと実験的にやってみます。
よかったら、のぞいてください。
posted by chochobocko at 20:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月21日

神戸残照 S

1月19日付けのdaily sumusに、昨年末、旧グッゲンハイム邸でおこなわれた「とある二都物語」について季村敏夫さんが書かれた文章が引用されていた。
http://sumus.exblog.jp/12696712/

季村さんが書かれいてた「詩人の顔はほとんどなく、古本屋さんの自由な参加という、ユニークな集い」、その場にわたしとごうださんもいた。
このトークイベントについて、記憶に埋没してしまうまえに、覚え書きでもいいので記録しておこうと思いつつ、日々だけが過ぎ去ってしまったけど、いい機会なので、おもいだしつつ、書いてみることにする。(メモは全くとってなく、時間も経過しているため、間違っている箇所があるかもしれません。)

居酒屋というより大衆食堂という言葉が似合う、その店に入るとすぐに、ロードスさんは「季村さん、もっとしゃべらなあかんわ」と言ったので、わたしとごうださんは、はっとあたりを見回した。
たしかに「とある二都物語」とタイトルにありながら、「神戸」あるいは「神戸の詩人」についてはあまり語られなかった。
「神戸に住んでないと書けないことがある」とか「神戸を地方だと思ったことは一度もない」というようなことを、ロードスさんは話してたように思い出す。わたしはその言葉になんとも言えない哀しさを感じたのだけど、
街の草さんは、あの、いつもの優しい声で「そうかなあ。ああ、でもそうかも。タルホについて書かれているものを読むときに感じるかもなあ。垂水から三宮に通う。あの感覚、住んでないとわからないかもなあ」と言った。
「垂水から三宮に通う」

その感覚は耳で聞いても、文字で見ても、わたしにはまるで想像もつかないものだった。垂水から三宮に通う、感覚、景色。それが体内にあるひとたち。
なんだ、ロードスさん、季村さんが神戸やら神戸の詩人について語るのを、ただ聞きたかっただけなんだ、聞けなくて残念だったんだと、うどんをすすりながらおもった。

トークで、内堀さんは「史実だけを書くならだれにでも出来る。そこに実感を盛り込まないといけない。ただ、実感と持論は違う」というようなことをおっしゃった。季村さんの著書『山上の蜘蛛』は事実と実感のバランスが絶妙だとも。
鳥羽茂が作った、うすいうすい同人誌。それを高価で手にいれる。それがなんになるわけでもない。けれど、コピーではない実物を手にして、本の感触を確かめ、匂いをかいで、その本がみてきた風景を想像したりなんかもして、ボン書店あるいは鳥羽茂という人物を、遠い遠い忘れられたひと、ではなく、実感のなかにたぐりよせる。
同人誌や詩集を手に入れることは、「資料」としての使用以外にも大きな意味があることを知る。
『山上の蜘蛛』の、事実と実感の絶妙なバランス。「実感」について考える。
「垂水から三宮に通う」感覚が意味するところ。それは少部数の同人誌を収集するのとおんなじくらい重要な要素なのかもしれないなあ、とか。

daily sumusで林さんは「帝都と地方の関係は主従ではないのではないだろうか。」と書く。北園克衛や春山行夫は地方出身者ということを挙げ、「フランスやイギリスの文学最前線からすれば東京であろうと神戸だろうと距離の誤差はたいして問題にならない。」と結ぶ。けれど、出身地や距離の誤差ではなくて、「行っちゃったひと」と「とどまったひと」の差はすこしはあるのではないか、とおもった。
大阪や神戸はなまじ都会のせいで、「とどまり組」がたくさんいる。それは今もかわらず。

くだんの大衆食堂でうどんをすすっていたら、季村さんが姿をあらわす。
内堀さんにサインしてもらおうと、『ボン書店の幻』を張り切って持ってきたのはいいが、サインどころか声すらかけられなかった。そのリベンジではないが、季村さんに『山上の蜘蛛』を差し出す。これもロードスさんか街の草さんに言ってもらったのだ。
季村さんは気さくに承諾してくれたのだけど、おでんの汁がこぼれたテーブルの上に本を開くから、汚れやしないかと気が気ではなかった。「あなたの、美しい本が、汚れますよ」と心の中で叫んだ。あーーーー。

「なんの花か薫る日」

季村さんはブルーブラックの万年筆で、そう書いてくださった。
ああ、素敵ね、と思ったら、ごうださんが「小学生みたいな字やな」と言うので、気分を害された。

カンカンカンという踏切の音、海の近さ、日が沈んだあと空に残るひかり。足先から這い上がる寒さ、古い洋館。内堀さんのすてきな言葉の数数。季村さんのシャイなえがお。
この記憶に、大衆食堂の湯気、木の葉丼、やらがかぶさってきて、極めつけはロードスさんの「しろちゃん定食ってなんですか?」と店のひとにしつこく聞いてた声がトッピングされる。塩屋での1日。


忘れちゃってるので、まちがってることだらけかも。お許しください。

posted by chochobocko at 22:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月05日

はじまりの映画 a(fukushima)

ちょうちょぼっこでライブをしてくださった前野健太さんが主演した映画『ライブテープ』を元旦に見に行った。生まれ育った街が映画の舞台だった。何千、何万回と通り過ぎた道。そこに知り合いや家族が映りこんでいてもおかしくないことを思うと不思議だった。そんなことを気にしながら映像を見ていた。

74分間ワンカットの1回限りの瞬間を捉えている。映像に関してくわしくないけれど、74分間をずっと流し続けて撮るって撮られる側も撮る側もすっごい緊張することだと思う。編集だってないのだから、どうなるかわからない。誰かの意思で映像ができあがることをそもそも極力排除している。

そんなことが頭の隅をかすめると、とてつもないその状況に見入った。終わりの方で松江監督と前野さんがはなしをする場面がある。その会話を少し離れたところから撮るカメラの前を人々が行き来する。かっちり撮っていないのがいいのだ。

なにも計算して作られたものではない。だからといって誰もが作れるものじゃないし、当たり前だけれど、そこには経験とか勘とかあって、生まれている。それでもそこに映りこんだ人々や景色やさまざまなものからストーリーが生まれていることがおもしろいと思った。

実は、わたしは前野さんの音楽は聞いたことがなかった。でも、とてもいい音楽だなぁと思ったし、ちょうちょぼっこでのライブもききたかったなぁと思った。

ライブテープ公式サイト:http://spopro.net/livetape/



posted by chochobocko at 23:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月21日

あたりまえに奇跡的な今  S

前野健太さんのライブ、盛況のうち、無事に終了しました。
前野さん、ご来場いただきましたみなさま、ありがとうございました。
また、ちょっとしたトラブルにも臨機応変に対応いただいた、主催の「夏のあくび」のおふたりにも感謝です。

家でCDを聞くのと読書っていうのは反復できるという点で、似ていて、最近はそればっかりなのだけど、やっぱり生で演奏を聴くのは特別な時間で、もう、この時間は二度とかえってこないんだなあ。「あたりまえに奇跡的な今」だなあ、とひしひしとおもった。

ちょうちょぼっこに来てくださった、約30名の人と「熱海」や、はじめて聴く京都タワーのうたを一緒に歌う。たのしい。
前野さんが「だれかの」を歌いはじめたとき、いささか感慨深くなる。
カウンターの中から、30人のお客さんの後頭部を眺めつつ、この知らないひとたちの「毎日」に思いを馳せる。たまたま同じ時間を過ごしている、知らないひとたちの「いとなみ」を考える。きっと、2時間後には顔も忘れてしまうだろうひとたちの「毎日の重さ」をこの曲を聴いている間だけでも考えみようとおもう。
いろいろな、いろいろの、積み重なりが見えた、気がした。きっと気のせい。

好きな「3月のブルース」「青い部屋」も聞けて嬉しい限り。
けど、リクエストで「100年後」と言えなかった小心者の自分をなぐりたい。「さみしいだけ」も聞きたかった。。ああいう場で曲をリクエストしようとすると失語症か!というくらい声がでません。

どんな日も、どんな時間も1回きりで、2度かえってこないのは頭では分かってるけど、そういうことを忘れがちな毎日の繰り返しなわけで、だから、「あたまりまえに奇跡的な今」を実感できた時間は、やっぱり素敵でした。センチメンタルにもなる。

今日と地続きでつながっている明日。
また会社に行くのか、と思うと憂鬱で仕方がないのだけど、「生きていかなきゃね。」
「あるのは毎日のつづきだね」

けど、朝起きるの、ほんといやだ。寒いし!
「きみと布団でただねむりたい」っていうのがほんとのところ。





posted by chochobocko at 00:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。